製造業

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GM、インド撤退の理由

桝谷 長男
桝谷 長男
2017/8/31

・GMのインドでの失敗の最も大きな要因は、世界で成功している車種をそのままインドに持ち込んでしまい、インド仕様かつインド価格を適用しなかったことにある
・マルチスズキが35年で5人のCEOを配していた一方、GMインドの経営陣はこの20年で9人と経営方針が一貫していなかった
・大衆ブランドなのか高級ブランドなのかの明確なブランド構築ができず、最終的には中国メーカーと組んだことでさらにインド人からの離反を招いた
・突然のインド市場からの撤退に従業員・販売店からの賛同を得られず、今後のプロセスにも大きな試練

 

ほんの2年前に、GMは10億ドルの追加投資を行い、さらに10車種の新モデルを投入すると宣言したばかりだった。さらには4月28日にはジャック・ウパルGMインド副社長名で150余りの販売店に対して、GMインドの主力モデルであるシェブロンビートの新型車を7月に発売するとアナウンスしたばかりだった。それから3週間もたたないうちに、GMは、マハラシュトラ州タレガオンでの輸出向け生産は継続するものの、それ以外のインド事業からの2017年中の撤退を発表した。

GMインターナショナルのステファン・ジャコビー社長は「様々な選択肢を検討したが、これ以上の追加投資に見合うリターンが得られないと判断し、撤退を決断した」と語った。さらに、「インド国内市場において長期的にみても(現状の競争環境を鑑みて、今後さらなる追加投資をしたとしても)GMが市場のリーダーもしくは主要プレーヤーとなることは困難である。この決定はGMの国際戦略に沿っており、適切なリターンを株主に届けるために必要な措置であると確信しており、この決定に再考の余地はない。広範なレビューを行った結果、財務効率を改善させるためのベストな選択は、輸出向けインド生産に集中することだ」とも語っている。

だが、この決定はGMインドの従業員や、販売店、サプライヤーに突然のショックを与えた。しかし、前兆は確かにあった。1年ほど前にGMはグジャラート州のハロル工場からの撤退とその工場設備のSAICモーターへの売却を公表していた。1,100人近くの工場従業員はタレガオン工場への異動の選択肢を与えられ、約半数の従業員が異動に同意した。ハロル工場は年間11万台のキャパシティを有しており、4月に生産は終了したものの、売却はSAICのインド子会社であるMGモーターによる反対や、タレガオン工場への異動に同意しない従業員の抗議行動により暗礁に乗り上げている。

GMハロル工場従業員組合代表のラシット・ソニ氏は、GMが今後2,3年でインド市場から完全に撤退するという発表を疑問視している。「従業員の権利として徹底的に戦うつもりだ」とも語っている。

年間13万台の生産キャパシティを有するタレガオン工場では約3,000人のうち400人程度、GMのグルガオンの本社では200-250人程度が、リストラの対象となっている模様。ほとんどがこの9月で解雇となり、一部が来年3月までの猶予を与えてられているようだ。彼らには45日分の給与が追加で支払われる。撤退に伴う補償は販売店にも用意されているが、解雇手当を受け取る条件が18,000台の新車を受け入れることが条件となっており、撤退が決まった今となっては、その台数をさばききることは極めて困難であり、ほぼすべての販売店が拒否しているようだ。実際20近い販売店が団結して、インドの自動車販売店連盟と共にGMに対してどのような法的対応がとりうるのか議論しているようだ。

しかし撤退が発表された以上、シェブロンに乗りたいいという顧客は皆無で、在庫処分の見通しすらたたず、どのくらいディスカウントするのかという問い合わせがポツポツとあるくらいだと匿名を条件にデリーの販売店店主は語っている。さらにその店主は、シェブロン車一台売るごとにもう一台の車をつけないと売れないぐらいだと冗談交じりに話している。

別の販売店では、今年中に新型が発売されると聞かされており、今年のAuto Expoで展示されていたコンパクトセダンやSUVなどのインドで売れ筋のラインの新型車が発売されると期待していたが、ふたをあけてみれば撤退と聞かされたまったもんじゃないと語っている。

GMインドの社長であるカヘル・カゼム氏は撤退に伴い影響を受ける、顧客、従業員、販売店、サプライヤーに対して全力でサポートすると語ったが、具体的な支援策についてはコメントしなかった。また広報担当からは、十分な知識を持った修理担当が撤退後もメンテナンスなどのサービスを行う内容の発表がなされている。

インド国内市場から撤退する一方、インドでの生産を維持し中南米市場への輸出を続ける理由は明確である。国内販売よりもはるかに儲かるからだ。2016年度でGMは70,969台を輸出したが、その数はインドで年間販売する台数の3倍ほどだ。GMのインド参入は他の外資に比べても最も早く、1996年にヒンドスタンモーターとの50対50の合弁で開始したが、現在のマーケットシェアはマルチスズキの47.6%やヒュンダイの16.8%に対して、GMは1%下回る2009年度から2016年度までの累積損失は8,110.7croreルピー(約1,460億円、1ルピー=1.8円換算)にものぼり、さらに今年度分も上乗せされる。

 

インド参入後、20のモデルを投入してきた。オペルブランドのアストラ、コルサ、コルサスウィング、コルササイル、ベクトラ、さらに2003年からはシェブロンブランドである、ビート、フォレスター、SR-V、オプトラ、オプトラマグナム、タベラなども投入してきたが、それらはすべてインド人の心をつかむモデルではなかった。最もひどかったのは、2005年に投入したミニバンのTaveraが、2013年に発売から8年間も環境性能を満たしていない車を販売し続けていたことがわかった時だ。すぐに全車をリコールしたものの、時すでに遅し、最悪の評判となってしまった。

GMインドは1999年にヒンドスタンモーターとの合弁を解消し、その後2008年までは独資でインド展開を進めていたが、2008年の景気停滞のあおりを受け、当時世界最大の販売台数を誇っていたGMは会社更生法の適用を受けた後、2009年にすでに中国ではパートナーであったSAICモーターに過半の株式を譲りインドで共同で展開を進めてきた(2012年に43%の株式を買い戻している)。

GMインドにとって「一貫性」のなさがあだとなった。新モデルの導入と撤退を繰り返し、モデル間の価格帯が30万ルピーから300万ルピーと幅がありすぎ、インド人からすればGMは大衆車なのか高級車なのかの判別がつかず、戸惑ってしまう結果、明確なブランドイメージを作り上げることができなかった。また、21年で9人のCEOが就任し経営陣が変わるごとに方針もころころ変わり長期的なスタンスでの経営ができなかった(業界リーダーのマルチスズキは35年のうち5人のCEO)。

9人の歴代CEOのうち、2007年から2012年の間にCEOだったカール・スリム氏は唯一成果を残した一人であろう。CEO就任中にGM本体が破産となるも、2012年度にGMインドの最高販売台数である110,048台を実現した。「GMインドはブランド構築に失敗し、また顧客ローヤリティプログラムもうまく機能させることができなかった」と元マルチスズキCEOのジャグディッシュ・カッター氏は語っている。

だが、GMインドの最大の過ちは、インド特有の事情を考慮せずに国際基準での戦略をインド市場にもちこんでしまったことであろう。GMインドは南太平洋地域部門によって統括されており、GMインドのCEOは製品、戦略、調達すべてについて当該部門に報告しなければならず、CEOはインド国内に時間を割くより、インド国外向けのために時間をさかなければならなかった。インドのように非常に複雑かつ多様性を有する市場では、もっと直接的な関与が必要だったにもかかわらずだ。この教訓は、ルノー日産副社長であるジェラルド・デトーウベトに知られることとなり、インド専用車であるKWIDを生み出すこととなった。インドで成功するためには、インド仕様かつインド価格にする必要がある。もし、インドで世界モデルを投入するならば、大惨事を招くことになる。これはGMインドだけに起こりうることではないと語っている。

最新のGMアニュアルレポートによれば、GMは主要市場(南アフリカ、中東、アジア諸国)で赤字を垂れ流し続けており、それらを合計すると838億ドルにも及ぶ(2016年)。
現GMのCEOであるメアリー・バーラの掲げる「規模ではなく、利益重視の戦略」に基づけばインドからの撤退はある意味当然の帰結であろう。2014年1月にCEOに就任後、ロシア、タイ、インドネシア、南アフリカからの撤退を実行し、さらに14工場を閉鎖した。バーラは、GMのライトトラックやSUVが好調である北米、ブラジルなど高収益が見込める市場に注力してきた。

 


バーラは中国に次ぐ市場となりうるポテンシャルを有するインド市場におけるGMのあるべき姿に悩み、CEO就任後の3年半で3回インドを訪れ、直にインド市場を感じたうえで例外なく、インド撤退の決断をくだした。

GMがインドで低迷している唯一のグローバルプレーヤーではない。フィアットやスコダはそもそもGMよりもインドでの販売台数は少ない。スコダの親会社であるフォルクスワーゲンもGMと比べて必ずしも上手にコントロールしているとはいえず、フォードですら、そこそこ売れているコンパクトSUVのEcoSportを除けば、インド市場にもがき苦しんでいる。フォードの上級副社長であるボブ・シャンク氏は、「インドはプレーヤーも多く、フォードのアプローチである「変化の必要性」を適切に運用するのが難しい市場だ。鳴り物入りで参入したはいいが、数年後には低迷し苦しむなどよくあることだ」と語っている。ヒュンダイは、1990年後半に投入したサントロが成功のきっかけとなった。ルノーも当初は厳しい状況だったが、インド専用車のKWIDの大ヒットにより息を吹き返した。市場は広く開かれているが、他より一歩先んじるには一種の賭けみたいなものだ。インド市場での成功には、運を味方にすることが必須なのかもしれない。